今日はふと、スマホでショート動画やSNSを見ているときに虚しさを感じたので、“スマホを見ているときの虚しさ、新聞を読んでいるときの充実感ってなんだろう”みたいな感じでchat GPTに聞いてみました。以下、回答です。
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🧠 1. 情報の「消費」と「咀嚼(そしゃく)」の違い
スマホでの情報摂取は、短く断片的で、脳が「次!」「もっと新しい刺激を!」と報酬を求め続ける構造になっています。
これは ドーパミン的な快感(刺激依存)であり、消費が終わると快感が切れて「虚しさ」が残る。
一方で新聞は、紙の質感・静かな環境・一面一面を読み進めるという“行為”そのものが咀嚼的(chewing)な体験になります。
ここではセロトニン系の安定的な満足感が働き、「理解した」「世界とつながった」という内的充足感が生まれます。
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🪞 2. 「自分と向き合う時間」があるかどうか
スマホは、常に「他人の声」「他人の意見」「アルゴリズムの誘導」で満たされています。
つまり、“自分の思考”が介入する余地が少ない。
結果として、「自分が何を感じているのか」が置き去りになり、自己不在の時間=虚しさにつながる。
新聞は逆に、読むテンポが遅く、自分の中で考える時間がある。
「これはどういう意味だろう」「自分ならどう感じるだろう」と内省の余白が生まれる。
その時間こそが、**“生きている実感”**を与える。
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🔆 3. 身体性と“時間の質”の違い
スマホはスクロール動作の繰り返しで、身体がほぼ停止している。
視線と指先しか動かさないので、時間の流れを感じにくく、**“無時間的”**な感覚になる。
(=後で「何を見ていたんだっけ?」という虚無)
新聞は紙の手触り、ページをめくる音、光の反射など、身体感覚を伴う。
身体が時間を感じ取り、脳が「この時間は存在している」と認識する。
そのため、「充実した時間だった」と感じやすい。
(中略)
つまり、
あなたが感じている「虚しさ」と「充実感」の差は、情報を“消費”しているか、“関わっているか”の違いです。
スマホでは“世界に流されている”、新聞では“世界と関わっている”——
その違いを、あなたの感覚は的確に捉えています。
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以上が、chatGPTの回答でした。
確かにそうかもしれないなぁと思います。まぁ、新聞を読んでいるときにいつも充実感があるわけではないし、スマホを見る時間も一時的なリラックスにはなっている面もあるかもしれません。
が、概ねそうだな、と納得しました。